龍源サロン遥かなる祈り


○大好きな色は水の色…エメラルドグリーン

水に感謝すると水の波動が美しく変わることを発見し、有志の仲間で感謝祈りの旅を始めました。その旅の最初が松山市郊外にある柳原泉でした。毎日お世話になっている『お水さん』があまりにもその存在が当たり前になっていて殆どの人が感謝を忘れています。

『お水さん』ありがとう…”水を治める者は天下を治める!”身の回りのご縁ある水に感謝することは、実は回り巡って自分の体内の水に感謝することにもなります。

水は仮名書きすると『みづ』です。語源は…満る。瑞・満・充・密・蜜・光が当てはまります。戦後『水=みず』と表記されるようになりましたが江戸時代までは『水=みづ』でした。

私の名の「満紘」は『水が広がりゆく』意味です。

                                     

その時以来、水とご縁が深くなり一層水との関わりを持つことになった。私の命に色があるとすれば、間違いなくそのエメラルドグリーン色だ。

私のモナリザ

(龍源作『私のモナリザ』…油彩10号)


私が描く絵は大好きなそのエメラルドグリーン色が多い。数多く描いた中で『わたしのモナリザ』は背景があの池の底で見た緑のカーテンの色…。この色を見ると何故か生命エネルギーの充電ができるような気がする。

私を池から引き揚げてくれたのは、もしかしたらこの絵のような女神ではないかと想像し、ダヴィンチが書き残した永遠の微笑の『モナリザ』を意識して『わたしのモナリザ』と題名を付けた。

柳原(りゅうげん)から龍源(リュウゲン)へ言葉の泉

(郊外の閑寂な地に湧き出でる柳原泉)

 ある医学博士の好きな短歌として『岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと水の流るる』が紹介されていた。作者不明でその作者の甲斐和里子さんを知るのに4年の歳月を要した。この “ さらさらと たださらさらと 水の流るる “の詩魂の響きが強く心に振動を与えた。2012年7月初旬に初めて柳原泉を訪ねた。青々した柳の木などに囲まれた泉の真中の原泉から清らかな聖水がこんこんと湧き出でていた。その泉のそばに立った時、甲斐和里子さんの『岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと水の流るる』の詩が想い出された。私の仕事は水を清らかにすること、それを供給し、滞ることなく循環させることらしい。

 我が家に棲みついた龍

我家の家宝!ちょっと大げさだが篆刻の第一人者のN先生の作品、持っている作品の中でも特に気に入っている絵だ。同じ芸術家グループに所属していた頃、屈指の飲み仲間だった。作品展会場で販売される先生の絵の値段をみると手軽に買える作品ではなかった。
その先生が自宅を新築した。新居に引っ越しする前日の夜、お祝に引っ張り出して翌朝まで飲み歩いた。その時間、先生宅では奥様が一人荷造りをされているなどと知るよしもなかった。
翌朝、引越しの手伝いに行くと先生は完全な二日酔い、縁側に座ってボーッと無気力に引っ越し作業を眺めていた。やがて大型のトラック2台に荷物が積みが終わり、奥様が「柳原さん主人をお任せしますから適当な時間に運んでくださいね!」と少し毒を含んだ口調で私に言い残して自分の車で出発した。
奥さんは先生のアトリエの荷物だけは何にも手をつけてなかった。飲み歩いた罰を与えたのだ。二日酔いの先生に片付けなど出来るわけがない。「全部ゴミで捨ててやる!」と部屋にあった作品類を手当たり次第に庭へ投げ捨てた。しばらくして私はそれらを選り分け、特に大切な作品を私の車に乗せられるだけ押し込んで、先生を助手席に乗せて新居に向かった。
この絵はその時に貰ったものだが、二日酔いの先生にはプレゼントしたというその記憶もないらしい。後日私の家に飲みにやってきたときに、この作品をみて”なぜここにあるの?”と不思議そうな顔をしていた。
何とも不思議なご縁で我が家にやってきた龍なのだ。この絵も大好きなエメラルドグリーンが基調になっている。

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